べっ甲のお話と おまけのQ&A べっ甲編 お知らせスタッフブログ
おはようございます、エスプリ・マの森川です。
先日、ネットショップのお話をしましたが Q&Aを載せるのを忘れてしまいました><;
今回は琥珀ではなく、べっ甲のお話をしたいと思います。
皆様は べっ甲と聞いて、何を思い出されるでしょうか?
べっ甲飴? べっ甲の眼鏡? おばあちゃんの持っている櫛?
実際、例えではよく使われる「べっ甲」ですが
本べっ甲と呼べるものは、ウミガメの中の「玳瑁(タイマイ)」という種類だけなのですよ!!
森川も子供の頃 海で甲羅の様なモノ?を拾い
おじさんに「べっ甲やで!」と言われた事を信じて
ずっと大事に持っていたという、苦い思い出があります・・・^^;
(実際はべっ甲ではありませんでした!><;)
この「玳瑁(タイマイ)」は主に ドミニカ、キューバ、インドネシア等の熱帯、亜熱帯地方に生息し
日本付近には小笠原の付近にも僅かに居るようです。
一番の特徴は色が「斑(まだら)」になっている事で
皆様がよく目にする「べっ甲柄」の元になっているところです。
1991年にワシントン条約による原料不足や、職人さんの高齢化で
年々高価な物になりつつあります。
べっ甲は日本の伝統工芸でもあり、後世に残したい技術なので
組合では、タイマイの養殖事業や若い職人さんを育てる試みも行っております。
皆様も タンスにしまってあった、おばあちゃんの櫛や
つやの消えた靴べら等をみつけたら、是非 リフォームして使ってくださいね!^^
今日は べっ甲からのQ&Aです~!!チャレンジしてみてくださいね~♪ p(^^)q
べっ甲に関しての出題 その1(ちょっと難しいかもです・・・^^;)
Q1 べっ甲には 「水紋(みずもく)」と呼ばれる柄があります
それは 甲羅にどのように出来た柄でしょうか?
1. 亀の皮膚と甲羅の間の シワの波模様
2. 長年海の中で 甲羅の裏に塩分が固まって出来た模様
3. 母亀が出産の為 陸に上がる時に、砂浜で付いた砂の模様
なので、雌の亀にしか水紋は出来ない
Q2 べっ甲は いつ頃から日本に伝わってきたのでしょうか?
1. 元禄時代 (高級遊女や大名夫人が贈り物で外国人からプレゼントされた物がある)
2. 江戸時代 (オランダ人によって、長崎の出島から持ち込まれたとされている)
3. 奈良時代 (隋より小野妹子が持ち帰った献上品の中に入っていた)
答え合わせは ずーーーと下ですー!! ^^
答え
Q1 2番 長年海の中で 甲羅の裏に塩分が固まって出来た模様
甲羅の裏に海水の塩分が様々な模様になって出来た物で
やはり1つとして同じ柄はなく
その自然に出来た模様が 美しいとされています。
ちなみに、亀の体と甲羅は一体になっており
甲羅から亀が抜け出る事はありません^-^;
よくマンガなどで、甲羅を脱ぐ亀さんがいますが
あれは間違った認識とジョークなのです(笑)
Q2 3番 奈良時代 (隋より小野妹子が持ち帰った献上品の中に入っていた)
中国では 6世紀末から べっ甲が使われだし
唐の時代に様々な装飾品が作られ
奈良時代に日本にも伝わったとされています。
正倉院には 琵琶や杖などに「タイマイ」細工が使われている物が
数点保管されています。
その後、オランダ人により 長崎から出島に持ち込まれ
江戸時代に あめ色の美しい輝きが女性の間でブームになったとされています。
いかがでしたでしょうか? べっ甲の豆知識として
知らない方がいらしゃいましたら お話のネタにしてくださいね~!! ^^
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